電脳僧侶にお布施する

今日も元気に生きている ツイッター@ofuse_

「ドラゴンボール超 ブロリー」の感想と考察を綴ろう

ネタバレあり、筆者はベジータのキモオタクです。

 

この記事をあなたが読んでいるとき、すでに私はこの世にいないだろう──。

 

嘘、この記事をあなたが読んでいるということはとうとうドラゴンボール超 ブロリーが公開されたということになりますね。

 

私がこの記事を書いているのは試写会から実に6日が経過した11月20日です。

いや~~~~、やっと正気を取り戻せた~~~~。

あ、うそです。書き始めたのは11月20日なんですけど原稿忙しすぎて結局公開日の翌日に書いてます。昨日見たのでまた正気失った。

 

映画、やばすぎて完全に自我を失ってしまい四方八方にドラゴンボールハラスメントし続けるモンスターになってました。常に自我失ってるみたいなもんだけど

 

内容はまあ素晴らしい出来でしたよね…

ベジータの……戦闘シーン……ホワワワワワ

いやほんと、美しすぎ。

「ありがとう」…それしか言葉が見つからない作画だった

一挙手一投足がまあ~~全部ベジータの闘い方なんだよね。

わかる……? 悟空とベジータの闘い方(動き方)全然違くない??

悟空は良くも悪くも「感覚」で、

ベジータは良くも悪くも上品な……「形式」に則った闘い方……

ああ…なんて言えばいいんだろう……? 

復活のFでこういうこと言ってたよね。

なんか「頭での考えにとらわれすぎ」みたいな。アレですアレ

 

ま、詳しい動きについての考察はベジータ研究班のみんなに任せるとして……

 

私が何より感動したのは、「超サイヤ人」「超サイヤ人ゴッド」「超サイヤ人ブルー」……と、三段階も変身があるのに、変身過程ひとつひとつを懇切丁寧に描いてたことなんですよね。

やっぱりサイヤ人がテーマなだけあって、サイヤ人にとっての「革命」(「進化」というべき?)となる部分──たとえば、今ではバーゲンセール状態で当たり前になってしまった「超サイヤ人」も蔑ろにせず、あくまで「1000年に1人しか現れない戦士」にふさわしい心揺さぶる変身シーンとして描いてくれたのが本当にうれしかったです。

 

しかも、そのシーンをベジータというキャラで丁寧に描写してくれたというのが私は嬉しくて。

 

なんでかって、まずひとつとしてベジータスーパーサイヤ人への覚醒は原作ではそこまで重要な場面としては描かれてないというのがあります。

 

言わずと知れた悟空の覚醒、そして未来からやってきた「謎の青年」の超サイヤ人への覚醒、この辺は驚きを伴ったドラマチックなシーンとして印象的に描かれることが多いですよね。でも、ベジータは……vs19号のときに変身して、確かに驚きはするだろうけど、あんまり印象的には描かれてないですよね…(アニオリで多少の補完はあったかもしれないけど)

 

ふたつめは、この丁寧な描写をベジータを通して描いてくれたことが、ベジータが「サイヤ人」の象徴であることを示してくれてるような気がするから。

 

近年「人間味が増した」「ギャグキャラ」という印象が強くなってきたベジータではありますが、あくまで私の考えなんですけど……、私が考える理想のベジータ像は…

サイヤ人の王子」なんですよね。

 

だから、サイヤ人の成長の系譜をベジータというキャラで辿ることでベジータが誇り高きサイヤ人の王子」であることを再確認できたのがすごくうれしかった。

 

とりあえずベジータについて最低限語りたいのはここまでです。

(これからも思い出したかのようにダラダラベジータの感想文は書くだろうからそっちでよろしく)

 

 

あとは、映画本編について気になったシーンについてちょっとだけ考察。

ネタバレ遠慮ないからほんと見た後に読んでください

 

映画の内容ってブロリーのトゥルーエンドでしたよね。

でも、もしブロリーが過去の映画の性格のままだったら多分こうしてトゥルーエンドを迎えることはできなかったと私は思います。

実は、映画内でブロリーがトゥルーエンドに行くための分岐点が二つ描写されていると考えました。

時系列順に並べると、ひとつめは「バア」と触れ合うシーンです。

過去の映画のブロリーが持ち合わせていなかったもの……

「友情」がひとつの分岐点になっていると思います。

 

あともうひとつは、ブロリーが水を飲むシーン……

これ、結構印象的に描かれていませんか? 

このシーンって、レモとチライの存在がブロリーの心に潤いを与えてくれたみたいな意味なんじゃないかなあと勝手に考えました。

 

具体的に言うなら、チライは「感謝」を、レモは「共助」を教えてくれたというべきでしょうか……。

この2つの分岐点のおかげで、ブロリーはトゥルーエンドに行くことができた。

多分、この2つがなければ旧映画と同じような末路を辿っていたんじゃないかと勝手に考察ちてちまいまちた。おわり。

 

あと全然関係ないけど気づいた点として、

ビーツ(バンパに向かって、食料確保のためにパラガスに殺されたサイヤ人)の死に方と、パラガスの死に方が一緒なんですよね。

二人とも左胸を撃ち抜かれて死んでる。

これは因果応報っていうのもあるだろうし、パラガスは旧映画から何一つ「変われなかった」っていうのがあるんじゃないでしょうか。

 

また話が変わるんですが、パラガスが死んだときのブロリーの覚醒って……、あれ、やっぱり「怒り」が原因なんでしょうか。

パンフレット読んでも「感情が高ぶり」しか書いてないので……。

「お父さんを、わるくいうのはいけない。」と言っていたので(チライに諭されてはいたけど)ブロリーブロリーなりに親父ィを慕ってたのかなあと思います。

だとしたら「お父さん」を失った今、どういう気持ちなんだろうっていうのはちょっと考えてしまいます……。いやまあ絶対に教育の方法間違ってるけどね。

 

 あとフォロワーさんみんな言ってるけど、悟空が「カカロット」である自分を肯定する最後のシーン、

超いい~~~~~~~~~~~~~~~~~。

 

このシーンって、前半に惑星ベジータの過去回想があるからこそ深みが出るシーンなんですよね。マジで公開当日にカカロットを地球へ送るバーダックとギネのシーン見てたら普通にポロポロ泣いてしまった。

バーダックとギネにとっては、カカロットはかけがえのない大切な存在なわけで。

ギネがカカロットが空へ消えた後に叫ぶ「カカロット」に呼応するかのように、この最後のシーンがあって……。

いや、マジで尊すぎ。

全人類見てくださいブロリー。この記事読んでるってことは見た後か。そうだわ。

 

とりあえず、また何か気づきがあれば追記(もしくは新しい記事書く)と思いますが、ここまでで……。また劇場で見てきます。

最後に一言だけ……。

 

ドラゴンボール、最高。